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北海道タイドットコムの特別インタビュー
「自分のできることをしたい!」タイで大奔走、スリン県に幼稚園を建てて寄贈した札幌の坂口さんのタイとの関わりをお聞きしました。


現在74歳の坂口さんは、車でタイ国内を二日で1000km!も自分で運転するほどのパワー溢れる行動力でタイでのボランティア活動を行なっていらっしゃいます。タイで幼稚園を作る活動だけではなく、札幌の小学生が卒業し使わなくなったメロディオンを寄贈してもらい、津波の被害にあったタイ南部のカオラックの子供たちに届けたり、また小さい子供用の古着を届けたりと様々なボランティア活動をしてタイの方との心からの交流をしていらっしゃいます。坂口さんのボランティア活動の考え方は自分のできる範囲で、できることをという方針で行なうということです。それは坂口さんが何らかの形で今まで行なってきたボランティア活動に参加できなくなっても、その活動に支障が出ないように考えて、活動自体が一番有効に、有意義に活きるようにという想いからだそうです。優しく穏やかに話される坂口さんのタイでのボランティア活動の経緯やタイでの



Part1 タイとの出会いについて
  1.自己紹介をしてください
@ 昭和7年生まれ 現在74歳
A 約38年間の小学校教員を経て、67歳まで保育園園長
B 昭和42年から日本赤十字社救急法指導員
C 全日本公認スキーパトロール・日赤雪上安全指導員として活動中
D スキー指導員
※ 現在はおもちゃ作りに熱中
  
  2.タイとの出会いは?
@ 40〜50才代は パトロールの関係でヨーロッパ・アメリカなどのスキー場等を数多く旅した。その折、各地の歴史風土・風俗に興味を持った。     
A 定年間近かになって、東南アジア地域を旅したいと思った。当時の国民感情などを考慮して、最初にタイを選んだ。 
B 最初に会ったガイドさんが、日本人観光客に「言葉が下手」とか、「日本にはもっと大きい大仏がある」などと言われ悲しかった、と話していた。退職したら日本語を教えに来るかと言ったら喜んでくれた。
 C 2度目は退職間もないときだったが、ストリートチルドレンといわれる子どもたちの多いのに気づいた。保護施設が必要ではと考えた。
D その後、日本語教室に勤める準備をしていたが、保育園園長の誘いがあったので再就職した。保育施設のことはずっと思い続けていた。
E 子どもたちの笑顔と瞳のきれいさが印象に残った。 


3.今まで何回くらいタイへ行きましたか?
@ 12〜3回だろうと思う。正確には覚えていない。 
A 始めのころは10日間ぐらい。
B この3年間は年に3回のペースで行っている。
C 長いときで1ヵ月半。大体は1ヶ月。
D 3回目は家族揃って行った。
  
4.タイへはどのような方法で行きますか?(ツアー、個人旅行など詳しく)
@ 3回目までは航空会社の主催ツアー。
A 4回目以降は、自分で作った旅程によって行っている。
B マイレージが使えるので、今はJALの悟空運賃を利用している。
C 1月10日以降1月いっぱい、4月いっぱいと5月連休以後6月中、9月後半から12月中旬までが安い料金設定がされている。
      札幌〜バンコク間で約70,000円程度。今は燃料代が加算されているが、札幌〜関西往復の料金に比べて決して高くはない。チェンマイ往復を加えても5,000円プラスなので割安感がするかも。
D ホテルはインターネットで予約する。3,000円ぐらいのところを探す。定宿を作るのがコツで二回目以降無理がきく。
       今はアパートを借り、そこをベースにして動いている。アパートの料金はバスつきで月契約18,000円程。一泊なら1,500円位。朝食なしだが、空けて旅しても損した気持ちにはならない。
E 国内の移動はバス深夜便・国鉄寝台・航空機の全てを使う。飛行機 は4社あり安い料金のものを利用することにしている。チェンマイ・バンコク間、バス1,800円。寝台2,500円。
   飛行機A社7.000円(60歳以上5%引き)B社3,500円。地方では、かなり遠距離でもタクシーを使う。90qのところでも3,000円ぐらいで行ってくれる。
     ※ タイには料金の安いときと、5月の新学期に行くことにしている。無料航空券で行くときは一ヶ月以上滞在して、隣国へも足を伸ばす。        
  
5.タイでの過ごし方は?   
@ チェンマイ付近の山岳民族の子どもを育てる施設の訪問
A エイズ罹患者の援助をしている施設団体の訪問
B バンナムケン・クラブリ津波被災地域の子どもキャンプ訪問
    C スリン・サムロン村の幼稚園や小学校との交流
D 各地のお寺参り

6.タイ料理で好きなもの、嫌いなものは?
 ※ 一番好きな物といわれると困るけど…カニの入っていないソンタム・クィッティアオカイ・ 野菜炒め類。魚料理も好きだけど、なんとなく安いものを多く食べているようだ。
   朝はほとんどカオトムだった。これは料理という程でないが旨い。 屋台のソーセージや、焼き鳥のような串刺しも悪くない。
     ※ 嫌いなものはないと思う。高いものは食べていないということ。 イサーンの、蟻やタガメなどを使った料理はもてなしの料理らしいが、手をつける程度で許していただいた。
  
7.お勧めの料理、レストラン、屋台などあれば教えてください
   残念ながらいつも飛び込みなので特定のところはない。とにかく屋台は町中に、道を走ればいたるところにレストランありで、選びようがない。デパートやバンコク駅にはフードセンターがあり、好きなものが食べられて便利。チェンマイのガレー、バンコクのロータスやカルフールなどにも庶民的なフードコートがる。

8.今まで行ったところ、好きなところを教えてください
@ メーサイ・チェンライ・チェンマイ・メーホンソン・ファング・ランパーン・ピサヌルーク・スコータイ・コーンケーン・スリン
ナコーンラチャシマ・ナコーンパトム・カンチャナブリ・プケット・タクアパ・クラブリ・カオラック・バンコクなどなど
A チェンマイが一番好きになった。  山に囲まれた高地であり、乾季は気温も下がって冬物を売っているなど季節感があること。
  多様な民族が同居していて雑然とした融合を保っている気質のようなもの。物価が安い。人々が緩やかに暮らしているように見えるところ。などが気に入っている。タイは何処でもそうだが、マイペンライがそのまま生きている町のように思う。

9.タイと日本の違いはどんなところですか
@ 大きくは、国王を中心とした国であること。王政ではないが朝夕の国歌演奏の場面では、国としてのまとまりが見られる。
A 仏教が国の方向を定める大きな力になっていること。仏を敬う気持ちが生活のそこここに深く浸透していること。
B 女性がよく働いていること。
C 親族や周囲の関わり方が親密であること。
D 伝統文化や芸能、地域や独自の技能が伝承され行われていること。
    ※ タイは近代と60年ほど前の日本の暮らしが入り混在する、興味深く学ぶべきものを含む国である。

10.タイの好きなところと嫌いなところは?
  ※ 微笑みの国そのもの雰囲気がいい。確かにいい笑顔に出会う。
     ※ ただ、都市と地方との貧富の格差が大きすぎる。大国指向が強すぎないか。クーデターが起きるなど未成熟な面が見られる。

 11.タイに住みたい?また将来すむすむ予定はありますか
※ 冗談めいて申し訳ないが、スキーが出来ないので住めない。
        体の動くうちに2・3年なら住んで見たいという気持ちはある。


Part2 幼稚園とTSUNAMIの活動について
1.なぜタイに幼稚園を作ったのか
@ 2回目の旅行のときから、子どもたちの雨宿りの場所があればいいのにと思っていたこと。日本の宗教家が活動しているのを知ったこと。
A タイランドクラブの人たちが、学資援助をしているということを知ったこと。それがサムロン村であったこと。
B サムロン村へ誘われて行ったとき、上級生は4本柱で茅葺のようなところで勉強し、幼稚園児は教室の一部を使っているのを見たこと。
C 自分の年齢を考慮し、援助の継続より学習環境を改善し、長年にわたって活用される建物を作る方が有意義であると考えた。
D 幼稚園を建てることで園児も、小学校高学年も学習の場が確保でき小屋を撤去することで遊び場も広がるというメリットがあった。 
 E 保育園退職を早めその退職金の範囲内で設計した。
    ※ 部落の人たちの協力も得て、2年がかりで完成した。以後、有効に活用されている。

 2.TSUNAMIの活動について
    津波の1年後、サムロン村へ行ったついでに、プーケットにいる友人から聞いていた実情を確かめたいと思いカオラックに行った。
    そこには家屋の残骸がそこここに積まれ、港らしきところには漁船が数多く沈み、また岸に押し上げられていた。水中に冷蔵庫やタイヤなどが沈んで見えた。
教師が2名亡くなったという小学校は少し高台にあったが、それでも一階部分がすっかり水に浸かったというから津波の勢いはここでも相当なものだったと想像できる。
    学校は廃校になった。そして、2階部分はミャンマー系の人たちの仮住宅として使われていた。
    タクアパの寺には1万人を超す身元不明者の組織が保存されている。砂浜を侵食され河岸段丘のように姿を変えた海岸もある。一面に珊瑚が打ち上げられ、
    津波が海の底をえぐりながら襲ってきたのが分かる。海岸に沿って建っていたリゾートホテルは全て流された。生存者が独りもいないというホテルもあったそうだ。
2年たった今年、漁港近くの食堂で津波の事を聞いたら、今も怖くて夜は町に近い別の家に帰るといっていた。停電になったら右も左も分からなくなり、逃げるのは到底無理と考えているようだった。
    子どもたちの中には今もトラウマに悩む子も多く、ボランテヤ団体が巡回活動を続けている。
    地域の特性で、海洋民族が多くミャンマーからの出稼ぎ家族が多かったことから、国籍もなく仕事もない彼らの救済も今後の課題であろう。
    住宅建設が進み、子どもたちは分散していったが、キャンプは今も残されている。学校から帰った子どもを地元のボランテヤが世話している。 但しこれらの活動は、資金切れの来年には終了するということだった。
     @ 保育園の父母から3・4歳児の古着をいただき持参した。巡回ボランテヤが配ってくれた。小さい子の物は買えないので喜ばれた。
     A ある小学校の児童が激励の絵を描いたり、学用品・折り紙などを集めてくれた。お寺やキャンプの子どもたちに配ったり一緒に遊んだ。
      B 市内小学校の卒業生からメロディオンを寄贈してもらった。3箇所のキャンプに配った。一緒に練習した。
     C 自作のおもちゃを持参した。巡回指導のボランテヤはそれらを持ち歩いて一緒に遊んでくれるそうだ。いっときでも子どもの心が開放されることを期待している。
     ※ プーケットは早くから復興したと喧伝し、観光客の入りも順調のように見受けた。津波の後遺症はないように思われているが、報道された津波の様子はカオラックのものが多く含まれていて、間違って理解されているような気がしてならない。カオラックではまだ津波は終わっていない。


 3.タイでボランテヤをするとすれば
     @ 教育や技術、遊びや手作業など、自分の持ち味を発揮できるところはたくさんあると思われる。ボランテヤの団体で募集をするところもある。
       タイ語が少々出来れば活動の範囲は何倍にも広がる。生活の基盤がしっかり出来るところとすれば、やはりタイ北部か。
     A 住むところさえ見つければ食べ物はおのずとついてくる。月契約で部屋を貸すホテルもあるので、レンタバイクがあればかなり遠方まで足を伸ばせる。タイはバイク王国でもある。
     B JALやANAの割引運賃で行くと一ヶ月、無料航空券などで行くと少なくとも2ヶ月は滞在できる方法がある。
       私の一ヶ月の滞在費用は、アパートと二日に一本の缶ビールを含めて30,000円ぐらいだから、要するにお金より意思ということ。そして、何より健康であるということ。
  
4.坂口さんから北海道の皆さんへのメッセージ
     北海道は地震が多発し、津波の情報もその都度報道されます。しかし、それらの大きさや規模は事前に計り知ることは出来ません。
今でも、津波情報が出ると海岸に見に行く人がいるそうですが、それならプーケットやカオラックで被害にあった人たちと同じです。
 当時、私たちは『日本のように津波の知識があれば、大きな被害を出さずに済んだのに』と教育と情報伝達の仕組みの欠落していたことを残念がったものでした。
     今は『inamura-no-hi』などを教材にして、まず逃げることを強調して教えています。自分の身の安全を守ることを第一に考えてください。
     TSUNAMIが世界共通の用語だとは知りませんでした。津波先進国だからこそ、災害回避のノウハウを何らかの形で発信し続けたいものです。
     私は、子どもたちにけがなどの応急手当の方法も教えています。継続的な金銭援助はこのような世情から無理です。しかし、身についた力は何らかの形で、世の中に還元できるのではないでしょうか。
     それが周囲のためであったり、海外であったりするだけだと思います。
     自分で動けなくても形あるものを他に託すことも出来ます。お手玉などがいい例でしょう。東北部の地域では、石ころでお手玉遊びをしているのを見かけます。一緒に遊ぶと65年前の自分に戻ります。
      タイには自分を取り戻すシーンがたくさん用意されています。 タイという国にも関心をお寄せいただきたいものと願っています。


     
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